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ZI:KILL

  1. 名前: 管理人 2005/08/26(金) 22:51:28
     CRAZE特集2回目はCRAZEの歴代最強のボーカリストだったTUSK(板谷祐)と結成からずっとバンドの土台を支えてきたベーシストSEIICHI(飯田成一)が居たバンド、ZI:KILL(ジキル)。こちらもD’ERLANGERと並んでかなり入れ込んでしまった・・・

     時は87年11月にKEN(Gt)とSEIICHI(Ba)MASAMI(Dr)によりGーKILLという名で結成され、それから間も無くして翌年TUSK(Vo)が加入。ご存知の方には言うまでもないが、その存在、声、何もかもが天性の個性だったTUSKにXのHIDEが目を止めない筈が無く、結成間も無い彼らだったが、TUSK加入の1ヶ月後にはXのYOSHIKI主催のEXTACY RECORDからインディーズ1stアルバム「真世界~REAL OF THE WORLD」をリリース。

     これを機に日本の有名ロック雑誌「ロッキンF」主催のライブを始め数々のライブに顔を出したり、ソノシートの無料配布をしながら着実に人気を上げて行き、ドラマーがYUKIHIRO(元ゲリラ、後にDIE IN CRIESを経てL'arc~en~ciel)に交代して90年に発売されたインディーズ2ndアルバム「CLOSE DANCE」はインディーズながら初回プレス3万枚という快挙を成し遂げ、後に東芝EMIからデビューした。

     そして91年デビューアルバム「DESERT TOWN」のレコーディング後すぐにYUKIHIROが脱退し、アルバムのツアーは90年に解散したばかりのD’ERLANGERのドラマーTETSUが担当するも、TUSKの喉の故障や、TETSUとKENの不仲が原因のTETSU脱退そして遂には東芝EMIが契約解消等バンドの活動が停滞してしまう。

     後に新ドラマーEBY(元マグネッツ、後に河村隆一、TMR、SHAZNA、Gakt等のサポート)が加入し92年、新曲とインディーズ時代の曲を織り交ぜた「TOMORROW」をEXTACY RECORDSから発売し健在ぶりを発揮したのをきっかけにキングレコードと契約し再びメジャーへ返り咲き、2ndアルバム「IN THE HOLE」(92年)3rdアルバム「ROCKET」(93年)を発売。一方TUSKはXJAPANのHIDEとビデオ作品「seth et holth」を発売する等順調だと思われた彼らだったが、KENとSEIICHIの不仲により94年1月11日の武道館ワンマンを最後にバンドは解散してしまう。

     D’ERLANGERと同じく今でも私設のサイトや掲示板に頻繁に書きこみが見られたり、多くのフォロワーを生んだTUSKのボーカルは今聴いても色褪せていない。最近の若者に分かりやすいので言えば、”ソープランド揉美山”のプロフィールに彼らの名前があるっていうのと、mixiのコミュニティもあるといったトコロだろうか。もし機会があれば検索して頂きたい。今でもどれだけ熱いのか実感できるはずだから…

     オススメはメジャー1stアルバム「DESERT TOWN」。ちょっと慣れたらインディーズ2ndアルバム「CLOSE DANCE」もいいかも。勿論他のアルバムもイイ、というかキャッチーで入りやすいんだがジキル節(学生時代登校拒否気味だったというTUSKの持つネガティブさが全開)を味わうならやはり前記の2つだろう。中古CD屋で探せばまだ手に入るはず。

     こんなボーカル他に居ない、というか居るはずが無い…ビジュアル系出身のボーカリストの中では一番好きな人。ライブで客をステージに上げて一緒に歌ったり手を伸ばせば握手してくれたフレンドリーなところも含めてベタ惚れです・・・
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CRAZE特集1

  1. 名前: 管理人 2005/08/19(金) 18:49:09
      ちょっと前にも日記で触れたが、最近自分の大好きなバンドCRAZEからボーカリスト板谷祐が脱退してしまったショックをきっかけに今回の「牛biな音楽」コーナーはCRAZEについて書いてみようと思う。まずこのバンドはメンバーそれぞれ90年前後に別のバンドで世に出てきた戦友同士で組まれたスーパーバンドであるので、敬意を表して各バンドそれぞれの経歴を追いながら話していこうと思う。今回はその中でも一番思い入れのあるD‘ERLANGER(読み方はデランジェ。バンド名の意味はフランス語で「淫らな誘惑」。)

     83年当時関西を中心にLOUDNESS、EARTHSHAKER,44MAGNUMをはじめヘヴィメタルの一大ムーブメントが始まっていた頃、一人のギター少年CIPHER(のちに瀧川一郎)、解散までオリジナルメンバーだったSEELAを中心に結成され、翌年ボーカルが福井祥史(のちにストロベリーフィールズ、元黒夢の鈴木新とのヴィニル等メジャーシーンで活躍する)へ変更。

     その後すぐにマンドレイクルート(*1)主催の目黒鹿鳴館で行われた「New Metal Power Audition」へ出場し、見事グランプリに輝いたのをきっかけにマンドレイクルートからシングル「GIRL」を発売。ここからライブは日に日に増えて行き、インディーズシーンで活躍する重要な顔ぶれの一つとなった。

     同じ頃、数あるメタルバンドの中でも44MAGNUMがとりわけ好きだったCIPHERは彼らのローディを担当していた。後にメンバーとなるTETSU(のちに菊池哲)も同じ頃44MAGNUMのローディをしていたのをきっかけにCIPHERと出会い、当時彼は元XのTAIJIと同居しながらやっていたデッドワイヤーを脱退し、数年後同じく元XのHIDEのやっていた横須賀サーベルタイガーへ加入するも続かず、その後ついにCIPHERと意気投合する。20年近く苦を共にしてきた瀧川一郎と菊池哲の固い絆はここから始まったのだ。

     88年TETSUが横須賀サーベルタイガー時代に同バンドで活躍していた縁で、D‘ERLANGERの流れを一気に変えたスーパーボーカリストKYOが加入。結成からしばらくはバリバリのヘビメタだった彼らもこの頃から「サディスティカルパンク」と名乗るようになり、最強の4人による最強の個性が恐ろしい程のスピードで彼らの人気を爆発させ、89年にマンドレイクルートから発売したインディーズアルバム「LA VIE EN ROSE」は当時のインディーズメタルシーンの売上げ記録を軽々と飛び越える結果に。

     その勢いは止まる事無く、90年メジャーデビュー後発売したビデオ「INCARNACION OF EROTICISM」はオリコン初登場2位を記録し、シングルやアルバムも言うまでも無く発売と共にチャートインし、何もかもが順調だと思われた。しかし、この周囲の異様な盛り上がりが逆に本人達を戸惑わせることとなり、「まだガキ過ぎるから」という理由でデビュー10ヶ月という短い期間で解散。ラストライブの模様は「MOON AND THE MEMORIES」という名前でCDビデオ共に発売され、近年DVD化されたばかり。

     解散後15年経った今でも私設HPや山のように存在しコピーバンドの集いが存在する程のこの異様な盛り上がりをファン・マニア達は人気ではなく“カリスマ”と呼ぶ。実際その後D‘EALANGERを「影響を受けた又は好きだったアーティスト」に挙げる後輩達は数知れない。MrCHILDRENはミュージックステーション出演時にわざわざCDを持参し熱演していたし、LUNASEAのINORANは師匠と拝み同じ蛇皮柄のギターを使うわ雑誌で対談するわだし、D―○HA○Eなんてプロフィールほぼ全て彼らに関する内容だし曲が似すぎてて最後にはネタが尽きて解散したし?(笑)Dir-en-GreyのDIEもだったな、一番意外なのは加藤晴彦

     ああ、高校の頃よくコピーしたなぁ。オススメなんて作品の数が少なすぎて選べません。まずはインディーズの「LA VIE EN ROSE」買っとけば?影響を受けたドラマーベスト3!

     
     (*1)マンドレイクルート:自分もちゃんと理解してないんだが、いわゆるレーベルというもの(多分)。CRAZE関連のバンドや、AION、DERZIBET、DEADEND、L'arc~en~ciel等などが所属している。

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LUNA SEA

  1. 名前: 管理人 2005/08/13(土) 18:23:42
     全開に続いて2回目もまた日本のヴィジュアル系。まあ自分がバンド始めてしばらくの間影響を受けていたのが本当にそういう人達なのだから仕方が無い。

     この名前も知らない人はそこまで居ないだろう。皆が知っているカジュアルな河村隆一(LUNASEA在籍時のみRYUICHI)を始めギターのSUGIZO、INORANにベースのJ、そしてドラムの真矢の5人からなる彼らも最初はバリバリの化粧に長髪に「お前ら気合入れてががってごーーい!!!」なんて激しく顔を歪ませて叫ぶシャウトがお決まりのヴィジュアル系だったのだ。

     5人の出会いは90年頃の町田プレイハウス。エアロスミスのように、まず冴えない4人が光り輝くボーカルを見つけ、その5人が揃って初めて化学反応が起こったというのがバンドのスタートだ。事実SUGIZOのディストーション(*1)とINORANのクリーン(*2)というLUNASEA黄金パターンはこの時すでに出来あがっていた。
     音楽はいうまでも無いが、彼らは衣装にもかなりの気配りをしていた。全身黒に身を包んだメンバーそしてファン。黒服限定ギグというライブも開催したりある日突然全員白服で登場したり…それは彼らの音楽の世界観を表現するには必要不可欠で、今までKISSのような激しさ欲しさのメイクがメインだったヘビメタ経由のヴィジュアル系に替わり、耽美派と呼ばれたAUTOMODD・DEADEND・SOFTBALLET等が築いた土台をうまく発展させ、中性的な色気を求めるメイクとそれに合わせた雰囲気の音楽を奏でる90年代ヴィジュアル系の方程式を彼らは作ってしまったのである。後に続いたバンド(PENICILLIN、Dir en gray等)を見ればその影響は明らかだ(実際PENICILLINのVo、HAKUEIはインディーズ(*3)時代あまりにもSUGIZOと格好が似ている本人からボコボコにされたことがあるらしい。)

     そしてXJAPANのHIDEの目に止まった彼らは同じくXJAPANのYOSHIKIが主催するインディーズレーベルEXTACY RECORDSから91年に1stアルバムを発売。なんとこのアルバムは予約だけで初回盤が売り切れる程かなりな売上を記録し、そのままの勢いで92年メジャーへ。

     メジャー進出後もシングル「ROSIA」のヒット、同じくシングル「TRUEBLUE]でのオリコン初首位獲得を筆頭に着実に人気は上がり続けていった。しかし96年のメジャー4thアルバム「style」のツアーを最後に「このままでは俺達は破滅してしまう」と急に一年程活動休止。各自ソロ活動を経て98年4月にまた活動再開しいくつか作品をリリースしていたがソロ活動で各自のエゴやベクトルの違いを余計に成長させてしまったのか、2000年「終幕」宣言(事実上の解散)。

     各自その後も続けて音楽活動はしているがやはりあの化学反応に優るものは見られない。それだけあの5人はバランスがとれていたし影響力もあった。今でも楽器屋で彼らの楽譜を見かけると中学時代バンド仲間の家でおまけで付いていた写真まで舐めるように見ていたのを思い出す…

     個人的には初期の激しさが垣間見れるインディーズアルバム「LUNASEA」と油が乗り出した3rdアルバム「mother」がオススメ。そして自分はドラマーだけど一生INORANのファンです。彼の格好今でもしてみたいかも…

     (*1)ディストーション:ロックとかでよくギャーンって激しく鳴ってるギターの音。エフェクターというサブの機械を介して出る音。
     (*2)クリーン:簡単に言えばギターでそのままアンプにつないで出る音。ポロリーンという感じ。
     (*3)インディーズ:CDの製作や販売、広告等各方面を大きな会社を介さず自主的に行うバンド、会社。タダしそれも80年代当時の話。今では大きな組織が絡む立派な商売に。

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